古文書講習会2022 ④/7(10月29日) ~京都府立丹後郷土資料館~

今日の「実践編」は、宮津藩主の本庄(松平)宗秀が第2次長州征伐の副総督として広島に入り、慶応2年6月13日(ユリウス暦1866年7月24日)に始まった芸州口の戦い(現在の広島県廿日市市、西国街道の難所「四十八坂」)で宮津藩が善戦したことを伝えています。
残念ながら戦闘の詳細は記述がないので、他の資料で補足されました。
激戦のわりに長州藩の高杉晋作や小村益次郎が活躍した大島口・小倉口・芸州口の戦いほどメジャーではないので、興味深い内容でした。
激戦の最中の慶応2年7月9日(1866年8月18日)、幕府の軍使として長州藩の陣営に単騎で向った宮津藩士 依田伴蔵は、四十八坂で長州軍から戦闘員と見誤って狙撃され絶命しました。
その時「残念!」と叫んで倒れた為、長州軍は遺憾の意を表し、土地の人々も壮烈な死を悼んで祠を祀り、現在まで丁重に扱われています。
「入門編」は今日も三上家文書で三上家が宮津市河原町から土地を買っていく様子をもとに人名や数字のくずし字を習得していきました。