宮津燈籠流しと初盆供養花火2022

1924(大正13)年から始まった「燈籠流し花火大会」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため3年連続で中止となりましたが、「精霊船流し」と「燈籠流し」は3年振りに復活しました。
尚、通常の「燈籠流し花火大会」は約1万個の燈籠が漂う海面に約3千発の花火が打ち上げられ、コロナ禍以前の2019(令和元)年には約78千人が訪れました。
2022(令和4)年は、約10分間だけ「初盆供養花火」として海上スターマインが空と海を鮮やかに染めました。(2021年は精霊船流しと燈籠流しが中止、「エール花火」として約10分間のささやかな花火が打ち上げられました)
宮津燈籠流しの由来は…
1580(天正8)年、織田信長の命を受けた細川藤孝(後の幽斉)が室町時代の守護大名 一色家が守る丹後攻略のため八幡山城に入り、その後、海辺に宮津城を築き城下町が形づくられました。
城下の人々が盆に迎えた先祖の霊を再び極楽浄土へ送るため、供物にともし火を添えて海へ流したのが宮津の燈籠流しの始まりだと伝わります。
やがて海へ流す供養火の美しさが評判となり、多くの見物客を迎えるようになったそうです。