ぶらり丹後 宮津城 ~丹後郷土資料館~


近畿北部で最大の宮津藩7万石の居城「宮津城」は、現在、史跡がほとんど残っていませんが…
今日は、京都府立丹後郷土資料館の資料課長で伏見城や聚楽第のオウソリティ森島康雄さんが絵図と発掘調査跡を辿って「宮津城」を解説して頂きながら散策しました。

九州旅客鉄道株式会社(JR九州)の初代社長でNPO法人 福岡城市民の会 石井幸孝 理事長が帰省され、ランチ会議の折お誘いしたところ快諾あり、「宮津城」に思いを馳せながら一緒に街歩きできたことは私にとって一生の思い出になると思います。
宮津城の築城は…
織田信長の命令で明智光秀の支援を受けた長岡藤孝(細川幽斎)が室町時代の守護大名 一色家が治める丹後を攻略する為、天正8年8月2日(グレゴリオ暦1580年9月20日)に宮津の八幡山城に居を構えました。
そして、海岸に宮津城を築城し、天正10年6月2日(グレゴリオ暦1582年7月1日)の本能寺の変で織田信長が倒れた後、天正10年9月8日(グレゴリオ暦1582年10月4日)に一色家の当主を謀殺し、長年、国分寺などがあった府中地区から丹後の中心地を移しました。
その後、幕末に至るまで近畿北部最大の城下町として栄華を極めました。

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