北前船の寄港地と安政津波の爪痕 ~大阪市大正区~


由良の歴史をさぐる会の催しで、大阪市大正区の三軒屋公園と大正橋界隈を散策しました。
三軒屋公園付近は江戸~明治時代には北前船の拠点として約500隻が係留されたと言われます。
由良からも船頭や水夫が4日間歩いてここまで来たという記録も残っています。
大阪ドームの近くにある大正橋の「大地震両川口津波記の碑」は、災害を言い伝えることの重要さを伝えています。

大地震両川口津波記の碑文の要約
安政南海地震では、地震を感じて家の一部が損壊し、人々は家の下敷きになるのを恐れて、船に乗って難を逃れようとしたが、地震の2時間後に津波が襲ってきて、船は転覆し、橋は落ち、地震で人は死ななかったが、津波で350人が死んだ。
1707(宝永4)年にも同じような地震があった時も船に避難して、大勢の人が死んだことがあった。
我々はこの先祖の言い伝えを生かせなかったので悔しい思いをしている。
そこで子孫に申し伝える。
将来も同じような地震が来るのであろうが、決して船で逃げようと思うな。
この石碑の文字がいつも読めるように毎年この石碑の文字に墨を入れよ。
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