明治維新150年展 ~北前船資料館~

今から150年前…
慶応4年1月3日(1868年1月27日)に鳥羽伏見の戦いが始まった2日後、新政府は18歳の西園寺公望※を総督として山陰地方の平定にあたる「山陰道鎮撫使」を派遣しました。
※第12・14代内閣総理大臣、立命館大学の学祖。
山陰道鎮撫使が幕府方の宮津城下へ入る直前に由良地区で宿泊した民家に掲げた木札を北前船資料館で見学できます。
また、慶應4(1868)年3月に新政府の太政官が発した「定」3札も展示されています。
写真の「定」では、未だキリスト教を禁じています。
(4月15日(日)迄、入場無料、10:00~16:00開館、月・火曜日休館)

当時、田辺藩(舞鶴市)の領地である由良地区に宿泊した山陰道鎮撫使は、翌日に鳥羽伏見の戦いで幕府方として戦った宮津藩に入り、藩主の本荘(松平)宗武を同年1月23日(1968年2月16日)に恭順させました。
山陰道鎮撫使の標的は、大老 井伊直弼の安政の大獄で寺社奉行として勤王の志士を処罰し、その後も大坂城代、第2次長州征伐の副総督や老中などの幕府要職を務めた先代藩主の本荘(松平)宗秀がいる宮津藩だと伝わります。
宮津が戦場にならなくて良かったと改めて実感します。
【ご参考】
日経ビジネス(2018.3.22)「戊辰戦争で帰る場所を失った桑名藩主松平定敬」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/030100206/030600003/

尚、今日は「北前船」に関する森山道子さんの紙芝居と宮津市教育委員会の河森一浩 学芸員の講演が由良地区公民館で開催され、100人近い歴史ファンや地元の皆さんが集いました。

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