秋の京都 特別拝観2023

この時期は紅葉と特別拝観で賑わう京都市内…
今年は大徳寺総見院の「織田信長公木造」と西本願寺の「飛雲閣」を見学しました。
「織田信長公木造」は、本能寺の変の翌年1583(天正11)年に羽柴(後の豊臣)秀吉が大徳寺で大規模な葬儀をあげ、信長の後継者として世間に知らしめた折、仏師 康清(こうせい)に作らせたものです。
昨年、由良の歴史をさぐる会の加藤正一 名誉会長の尽力で、宮津市由良にある「如意寺の阿弥陀如来坐像」は康清の作品であることが分かり、今春、京都府の文化財に指定されました。
今回、「織田信長公木造」の底に記してある「康清」の名前と制作年を確認してきました。
西本願寺の飛雲閣は、室内には入れませんでしたが、金閣寺や銀閣寺と並ぶ立派な建物です。
【大徳寺総見院の「織田信長公木造」】
大徳寺総門
大徳寺総見院のパンフレット裏面
大徳寺総見院の門
創建時のままです。
大徳寺総見院の本堂
1928(昭和3)年に再建。
「織田信長公木造」の底に記してある「康清」の名前と制作年。
侘助椿(わびすけつばき)
豊臣秀吉が愛したという日本最古の胡蝶侘助と伝わります。
大徳寺総見院の門と塀は創建時のままで、塀の内側は隠し通路になっていたそうです。
茶室 寿安席(じゅあんせき)
明治から昭和にかけて活躍した実業家・山口玄洞による寄進。
清正の井戸
加藤清正が朝鮮出兵の折に持ち帰った石を彫り抜いて井筒にしたと伝わります。
大徳寺の金毛閣
1589(天正17)年、千利休は三門を造替しました。
その際、雪駄履きの自身の木像を安置した為、豊臣秀吉の怒りを買い、切腹を命じられたという逸話があります。
因みに、秀吉が異議を唱えたのは造替後2年経ってからです。
【西本願寺の「飛雲閣」】
御影堂門(ごえいどうもん)
西本願寺の境内
南側から北側を撮影
御影堂と阿弥陀堂
御影堂
西本願寺 御影堂の沓石
西本願寺 御影堂のご本尊
西本願寺 御影堂内
西本願寺 御影堂内
渡り廊下
阿弥陀堂
西本願寺 阿弥陀堂のご本尊
西本願寺 阿弥陀堂内
御影堂と阿弥陀堂
太鼓楼