由良の歴史をさぐる会 新入会員研修20231022

今春に3名の新入会員があり、そのご家族と一緒に主な神社仏閣を巡りました。
腰を痛めた加藤正一 前会長が杖をつきながら熱心に説明される「由良の歴史」…
次の世代へ確実に語り継ぎたいと皆で心新たにしました。
由良神社の境内にある熊野神社
元々、由良神社は由良ヶ岳の山麓に祀られ、出雲国八束郡八雲村の熊野大社から素戔嗚尊の分霊を勧請したと伝わります。
1711(正徳元)年に由良神社の社殿が造営された際に統合されて一社となりました。
由良神社の北側の石垣は、地元出身の澤井市造が創業した澤井組により作られました。
新宮凉庭の顕彰碑
1711(正徳元)年に由良神社の社殿が造営された際は、由良岳のある南向きだったそうです。
鎌倉時代の仏師 快慶の「地蔵菩薩坐像」
山椒大夫伝説では「身代わり地蔵」として親しまれています。
如意寺
康清(こうせい・織田信長木造座像の作者)の阿弥陀如来坐像
如意寺
上石浦の中路(なかじ)神社
下石浦の住吉神社
下石浦 住吉神社の長屋門は、真ん中の通路に木の廊下を敷き、全体が舞台になります。
湊の照国稲荷(てるくにいなり)
北前船の絵馬で有名です。
蜂子皇子が出羽(山形県)へ船出をしたと伝える石碑と孤独の不動明王像
「蜂子皇子船出之地」の石碑は由良の歴史をさぐる会が建てたもので、崇峻天皇5年(西暦592年)11月3日に、蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、馬子から逃れるべく蜂子皇子は聖徳太子によって匿われ宮中を脱出して丹後国由良から海を船で北へと向ったと伝わります。
「孤独の不動明王像」は流れ着いたと伝わりますが、明治の神仏習合で神社と横向けに安置されているのではないかと推察されています。
夕暮れの由良鉄橋を渡るくろまつ号
北野御膳宮(きたのごぜんのみや)
「安寿と厨子王」の伝説の中で、山椒太夫から逃げる途中で亡くなった安寿姫を祀った社と伝わります。
北野御膳宮の説明板
由良の歴史をさぐる会が建てたものです。
空き家となった敷地内ある道標
由良の歴史をさぐる会で保全を図ろうとしています。