生涯の恩師 前尾知三 先生を偲んで

小学校3~6年生の4年間を担任頂いた前尾知三(まえおさとみ)先生が8月9日に肺炎で亡くなり、お盆明けの17・18日にお通夜と葬式が行われました。
一昨年の冬頃からきまって早朝にお電話を頂き、お孫さんの活躍やご友人の動向を伺ってきましたが、年明けから体調不良が進んでいることがお話の中心になっていました。
そして、5月に京都府立大学北部医療センター(旧与謝の海病院)に入院され、6月に武田病院(旧太田病院)へ転院される折、ご家族の計らいでお会いすることが叶いました。
その後は肺の負担になるので、電話も途切れがちになっていた矢先に訃報に接しました。
小学3年生1学期の通知簿の保護者への連絡欄に「絵に描いたようなわんぱく小僧」から始まり、4年生3学期まで私の「うつけ者」ぶりが明るく延々と綴られています。
バケツをもって廊下に立たされ、張り倒されるのが日常茶飯事だったと言っても過言ではないでしょう。
5年生のクラス替えでも「手に負えない私と仲間達」は、前尾先生が2期連続で異例の担任となりました。
そんな私達に前尾先生は4年間諦めることなく、しっかり育ててくれました。
記録会の30人リレーでバトンタッチの入念な練習などで数十年振りに記録を塗り替えたこと…
5クラス対抗ドッジボール大会で小刻みなパス回しで確実に倒す戦法で優勝したこと…
忘れ物をすると、班の全員が一つにつき漢字10字を書くペナルティを設けたため、マックス300字を超える時もあり、皆が互いに注意しあって忘れ物をほぼ撲滅したこと…
宮沢賢治の素晴らしさを教えてくれたことetc. …
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」
6年3組 前尾学級は、5年生の時から始まった「朗読の時間」で「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」など宮沢賢治の作品が最も多く読まれました。
そして、卒業までに全員が独自の童話を作り、記念の冊子を配りました。
「雨ニモマケズ」の詩を何も見ずに諳んじることが6年3組だけの卒業試験でした。
サラリーマン時代に辛いことがあると…
残業中や駅のフォームで「雨ニモマケズ」を諳んじると不思議と心が落ち着きました。
前尾先生から私たち教え子が授かった大きなプレゼントの一つです。
様々なエピソードは尽きませんが…
前尾先生は理科が専門だっただけに、目標を達成するとき「先ず現実を見据え、工夫する大切さ」を私達に教えてくれたようです。
宮津を離れてからも、毎年、前尾先生からは手紙のような年賀状が届き、ずっと見守ってくれる安心感を頂いてきました。
そして、2014年、宮津市議会議員選挙に出馬する相談をした時…
会社と家族の反対を説得している最中に、前尾先生は私の味方になってくれました。
東京へ帰る車の中で「Stand by me」を聴きながら涙が溢れてきたのが昨日のことのようです。
そして、フジテレビの尾上規喜 常勤監査役(元副社長)やルパン三世の元監督 おおすみ正秋さんなど優秀な幼馴染をご紹介頂き、私は今も掛け替えのない皆さんに支えられています。
ここ数日、前尾先生が亡くなられたショックから立ち直れず、茫然自失のような状態が続きましたが…
「前尾先生の教え子」に恥じず、先生から学んだことを周囲に伝えていきたいと改めて思います。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ…
「台湾のチョウ」の標本
前尾先生の趣味の一つで、1970(昭和45)年に台湾で採集されたものです。