旧南海ホークスの門田博光さん逝去

宮津市民球場は1979(昭和54)年に竣工しました。
「球場開き」はプロ野球ウエスタンリーグのトーナメント大会で、阪神・阪急・南海・近鉄・中日・広島の2軍選手が集いました。
体調を崩して2軍落ちしていた門田博光さんが代打で登場すると…
皆でホームランボールを取ろうとライトスタンドへ一斉に向かい、球場が異常な興奮状態に包まれました。
しかし、結果は「三振」で、ため息がどよめいたのが昨日のことのようです。
門田博光さんのご冥福をお祈りします。
余談ながら…
旧制宮津中学校(現 宮津天橋高校)のOBで阪急電鉄㈱の監査役だった岡田栄さんは、「阪急ブレーブス」がオリックスに変わるまで長年球団社長を務められました。
岡田さんは海軍兵学校74期生で、旧三井リース事業㈱の米倉國輔 社長(三井物産㈱専務取締役)と同期だったこと、奥さんの芳乃さんが新制宮津高校時代に父と同級生だったこともあり、皿鉢料理の司で度々海軍兵学校時代の頃など貴重で面白いお話を伺いました。
なかでも上述の「宮津市民球場の球場開き」は、当時、京都大学理工学部の先輩で義兄の矢野二郎市長から相談を受けた時に何度も断るも、並々ならぬ熱意にほだされ遂に決行。
6球団の選手が宿泊する旅館手配からチケットの販売など「京都府北部で初めてのプロ野球」はものすごく手間がかかったそうです。
そんなお話を聞かせて頂ける方々も鬼籍に入り、移ろいゆく時代に哀惜の念に堪えません。

【写真特集】門田博光さん死去、74歳 歴代3位567本塁打 南海、オリックス、ダイエーで活躍 – プロ野球ライブ速報 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)
門田博光 – Wikipedia