駆け足で久美浜湾を一周

丹後中央病院と兵庫県豊岡市の三井住友銀行で用事をすませ、京丹後市の久美浜町にほんの一瞬立ち寄りました。
先日、宮津観光アテンダントまちなか案内人の会の方々に同町の「湯舟坂2号墳」と「神谷太刀宮神社」などをアテンド頂き、気になって立ち寄りましたが、次回じっくり訪れたいと思います。
【久美浜のWikipedeia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%BE%8E%E6%B5%9C
【和久傳の森】
1871(明治3)年に京都府北部の京丹後市で料理旅館として創業した「和久傳」は京都市内や東京で高級料亭として事業展開してきました。
2007年、56種およそ3万本の植樹を行い「和久傳の森」が完成し、2017年には「森の中の家 安野光雅館」と工房レストラン「wakuden MORI(モーリ)」をオープンしました。
自然の大切さを説き、無農薬栽培などの健康にこだわった素晴らしいランチを楽しめます。
【和久傳の森のHP】
https://mori.wakuden.kyoto/
【和久傳のWikipedeia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B9%85%E5%82%B3
【豪商稲葉本家】
1890(明治23)年に竣工した主屋は国の登録有形文化財に登録されています。
稲葉本家は、織田信長家臣で美濃の稲葉一族の末裔と言われ、久美浜に於いて糀(こうじ)製造で得た富を背景に廻船業を営み、沿岸交易による巨富を得、付近諸藩の金融を独占するほどの豪商だったそうです。
母屋は、衆議院議員も務めた12代目の市郎右衛門英裕が明治18年から5年の歳月をかけ建設し、13代目の稲葉市郎右衛門は、多額の私財を投じて旧国鉄宮津線の久美浜~豊岡を開通させたことで有名です。
夕方4時前に到着し、閉館が迫り数分しか見学できませんでした。
次回ゆっくり見学したいと思います。
【豪商稲葉本家のWikipedeia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%AA%E5%95%86_%E7%A8%B2%E8%91%89%E6%9C%AC%E5%AE%B6
【豪商稲葉家のHP】

トップ


【如意寺】
天平年間(8世紀)、行基が久美浜に滞在していた時、山上より霊火が出て海に入り、また海より出て山に昇る奇瑞を見て、漁師に網を引かせたところ、如意宝珠が得られたそうです。
そこで行基は伽藍を建立して如意宝珠を納め、宝珠山如意寺と号したと伝わります。
仁王門の金剛力士像二体は鎌倉時代初期の制作です。
【如意寺の本堂】
1670(寛文10)年に建設され、1918(大正7)年に大雨で倒壊し、1927(昭和2)年に再建されました。
本尊十一面観音立像は像高二尺八寸の一木造で、行基作の寺伝があり、眼守護の利益があるそうです。
【如意寺のWikipedeia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%84%8F%E5%AF%BA_(%E4%BA%AC%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%B8%82)
【宝珠山 如意寺のHP】
https://nyoiji.com/
【小天橋箱石海岸と日本海】
京丹後市網野町浜詰から日本海に面して6~7km続く丹後砂丘の砂浜の西端にあり、日本海と久美浜湾を隔てています。
1987(昭和62)年に日本の白砂青松100選に選ばれています。
最終氷期の末期における海面上昇で形成されたものとみられ、沿岸流によって日本海から運ばれた砂が久美浜湾の入り口をふさぐように長く延びた様子が、宮津市にある日本三景の天橋立と似ていることから「小天橋」(しょうてんきょう)と名付けられました。
【小天橋のWikipedeia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A4%A9%E6%A9%8B
【東山公園(金毘羅神社)から久美浜湾とかぶと山を望む】
【じゃらんの東山公園】
https://www.jalan.net/kankou/spt_26521ah3330042908/