令和5(2023)年第2回(7月)宮津与謝消防組合議会臨時会

本年4月に徳本議長が亡くなり、松浦議員(宮津市・公明党)が新議長に選任されました。
そして、以下の議案を承認・議決して閉会しました。
①消防職員の給与に関する条例を一部改正する専決処分を承認・議決して閉会しました。
②宮津与謝消防組合火災予防条例の一部改正。
③消防救急デジタル無線設備更新(一部)46,200千円。

宮津市出身の尾崎邑鵬さんが京都新聞に掲載!

尾崎邑鵬さんは1924年(大正13)年1月5日に辛皮で生まれ、宮津青年学校研究科修了後、上宮津農業協同組合に勤務し、1951(昭和26)年から書道の本格的な勉強のため大阪へ転居されました。
その後1955(昭和30)年に日本書芸院展で特別賞一席を取られてから、関西綜合展も関展賞一席、日本美術展覧会(通称「日展」)の菊花賞、大阪府文化芸術功労者として知事表彰の受章、読売書法展の大賞、日展の文部大臣賞、大阪府八尾市文化賞、日本芸術院賞等を次々に受賞されました。
そして、日展の常務理事・日本書芸院理事長・全日本書道連盟理事長を歴任され、現在も日展の顧問など日本書道会の重鎮を務めていらっしゃいます。
1997(平成9)年に勲四等旭日小綬章、2016(平成28)年に文化功労賞、2018(平成30)年にできた宮津市特別栄誉賞を受賞されました。

天橋立の北端 江尻地区で阿蘇海の清掃20230704

「阿蘇海環境づくり協働会議」と「天橋立府中観光会」の共催で、毎年7月と10月に宮津市江尻地区海岸でボランティアによる阿蘇海(天橋立の内海)の清掃活動が行われます。
京都府の主導色が強かったようですが、宮津市も全庁をあげて清掃活動に加わり、SDGsを担当する市民環境部を中心に各部から選抜された職員18名、市議会議員も13人中8人参加しました。
今日の参加者は50人で、3.5トンのゴミを回収しました。
尚、昨年の参加者とゴミ回収量は以下の通りです。
・7月:約50人・7.5トン
・10月:約35人・1.0トン

由良の歴史をさぐる会2023年7月定例会

今夜は新たにUIターンした知性溢れる若手3人が加わり、賑やかな会になりました。
また、反社会勢力への対策など新たな規約もできました。
来月から「由良の良さ」を各自が持ち寄る企画もスタートします。
由良の文化活動がⅤ字回復することを願って。
https://www.city.miyazu.kyoto.jp/uplo…/attachment/5616.pdf
6月議会で私は「宮津で育った著名人の顕彰と交流」を一般質問しました。
なかでも台北鉄道の創始者 澤井市造に関する的確な資料がない為、シンプルかつ正確に歴史雄伝えてきた「由良の公民館だより」の「広報みやづ」にリンクするPDF方式を変更する提案をしたところ、「澤井市造」とネットで検索して頂くと、上位に「由良の公民館だより」が掲載されるようになりました。
これからテレビドラマの提案など大きな武器になります。
丹後由良の北前船&郷土資料館のYouTubeも公開しました。
これから情報を発信します。

宮津市人権問題研修会202306

・演題:ネット人権侵害と部落差別の現実
・講師:一般社団法人 山口県人権啓発センター 川口泰司 事務局長
宮津市は、明るく住みよいまちをつくるため、市民一人一人が人権尊重の意識を高め、自分の人権を大切にするとともに、お互いを尊重し、つながり支え合う社会を築くことを主眼に人権問題研修会を開催しています。
今日は、部落問題を真ん中に据え、わかりやすい表現で差別の本質に迫り、笑いあり、涙ありの世代を超えて共感を呼ぶ講演を拝聴しました。

久し振りにサントリーフーズの木下毅 元社長を紙面で…

今月の日本経済新聞「私の履歴書」は 第一三共株式会社の中山譲治 常勤顧問でした。
中山氏のお父さんは医者から政治家となり外務大臣を務めた中山太郎さんです。
中山譲治さんはサントリー勤務時の1982年に「やってみなはれ」の佐治敬三 社長の右腕で財務部長を務める木下毅さんから学んだ内容を紐解かれ、私にとっても感慨深いものでした。
1980年代の企業は銀行の間接金融から社債を発行する直接金融に進化していく過渡期で、木下毅さんは社債に関する大蔵省(現財務省)のヒアリング時に古い金融体制を象徴する社債発行限度暫定措置法の撤廃を提案されたそうです。
1999年1月に木下毅さんはサントリーフーズ株式会社の社長に就任、私も同年4月に三井リース事業(MLD)の自動販売機部へ異動し、同社を担当します。
当時としては画期的な提案型商内を編み出し有頂天になっていた私は木下毅さんにも提案したところ、随分喜んでくれました。
そして大きな宿題を何度も与えられ、一つずつ解決していく過程でブラシュアップしていきました。
さくら銀行の役員だった立岩寛吾 専務や若貴ブームの「二子山部屋の谷町」など社内外を問わず多くの皆さんのご協力も得て、後に提案型商内が実現しました。

「現代の北前船構想」元祖にヒント 元JR九州社長ふるさと訪問 ~京都新聞の記事~

宮津市の漁師町にルーツをもつJR九州の初代社長 石井幸孝さんが同市由良出身の台北鉄道等の創業者 澤井市造の生家跡などを訪れる京都新聞の記事…
いつか澤井市造の映画を作りたいです。

座禅を初体験 ~宮津文化協会で智源寺を訪問~

本年5月にコロナの感染法上の位置づけが2類相当から5類に緩和され、文化活動も3年振りに再開しています。
今日は智源寺で座禅を体験しました。
棒で背中を叩かれるのを覚悟していましたが、静かに瞑想に耽る時間を過ごすことができました。
座禅の後は智源寺の庫裏(くり)を見学させて頂き、住職からご説明を受けました。
京都府指定文化財「法堂天井絵」は今月から約3年間修理に入りました。
京街道に面する智源寺
江戸時代は宮津城の南西を固める要塞の役割もあったと伝わります。
庭園は三十三世・宇野玄機和尚の自作といわれ、庭園の池は心字池と称し、心の字をかたどって造られたもので、その後改修されて現在に至るそうです。
昨年の大雪で部屋が壊れて洋室にリニューアルされた部屋の柱には約200年前の火事で焦げた柱がそのまま使われています。
血染めの金屏風
三代藩主・京極高國の弟、高治が切腹の際に用いたと伝えられ、血染めの屏風と云われていますが、伯父の梅本政幸から伺った私の記憶では…
白くて小さい屏風だったように思いますと具申したら、奥谷安弘さんも同意あり、後日、真偽を確かめたいと思います。
この屏風は六曲一双の片側で、構図が桃山から江戸初期のもの推測され、長谷川等伯の作風にも似ているので、いつもの「なんでも鑑定団」に問い合わせるかもしれません。
想像に夢が広がる楽しいひと時です。
文久元年(1861年)の智源寺絵図
弁天堂
子どもの頃、祖父の自転車に乗せられて週に一度はカメを見に来ていました。

宮津市議会2023(令和5)年6月定例会の最終日

3月定例会から継続審査となっていた懸案の「ゲノム編集とらふぐのふるさと納税返礼品に関する請願書」に関しては、総務文教委員会同様、本会議でも不採択となりました。
(賛成3・反対7・退席1・欠席1)
私の属する新無所属クラブの議員2人は賛成しましたが、私は退席しました。
請願の方法や目的・反省点等を3人で話し合い、今後の会派運営を盤石にしたいと思います。
改選後1年経過し、議会の体制が以下の通り変更されました。
①議会活性化特別委員会に付議事件「議員報酬及び議員定数の調査・検討」を追加し、委員会定数を4人から12人(議長を除く全議員)に変更。
②委員会の正・副委員長(申し合わせによる1年ごとの改選)
・総務文教:正 星野和彦・副 堀未季
・産業建設福祉:正 河原末彦・副 幾世恭典
・予算:正 坂根栄六・副 河原末彦
・決算:同上
私は以下の通り総務文教委員長報告と質疑に対する答弁で4回登壇しました。
①0.00.52~0.04.15 条例等の一部変更
②0.20.10~0.22.38 インボイス制度中止を求める請願
③0.29.43~0.33.56 ゲノム編集とらふぐのふるさと納税返礼品に関する請願書
④1.19.58~1.28.35 所管事務調査の報告
尚、「ゲノム編集とらふぐのふるさと納税返礼品に関する請願書」に関する総務文教委員長報告と討論・採決は以下の時間です。
0.29.43~1.10.20
本会議終了後は全員協議会が開催され、理事者から以下2点の説明を受け、議員が質問しました。
①関西電力㈱宮津エネルギー研究所跡地に係る状況
②令和4年度決算速報
私は凡そ以下の通り質問しました。
①他の発電所跡地の研究と市の誘致体制。
 Ex. 海南発電所跡(和歌山県)には地元の鉄鋼会社が工場建設。
②上下水道事業の前年比改善の要因。
①関西電力㈱宮津エネルギー研究所跡地に係る状況
②令和4年度決算速報
私は凡そ以下の通り質問しました。
①17.33~19.22
 他の発電所跡地の研究と市の誘致体制。
 Ex. 海南発電所(和歌山県)には地元の鉄鋼会社が工場建設。
②19.40~22.12
 上下水道事業の前年比改善の要因。

宮津市出身の尾崎邑鵬さんが主宰する第46回 由源全国書道展

本展覧会に出展・受賞される宮津の由源社会員の皆さんと私も4年振りに出席致しました。
今回は2日間お邪魔し、尾崎さんから宮津時代に培った「負けん気」のお話などゆっくり伺うことも叶いました。
また著名な文化人や元衆議院議員等の来賓の一人に加えて頂き、控室で皆さんに「ふるさと宮津から来た星野くんや」と逐一ご紹介頂きました。
そんなきめ細かく尾崎さんの過分なお気遣いに感無量です。

JR九州 初代社長 石井幸孝さんの帰省202306

ほぼ1年振りに漁師町のご実家に帰省され、庭の剪定や古文書の調査等をされました。
宮津市立図書館の「宮津市にゆかりのある方のコーナー」にできた石井幸孝さんの書棚
郷土史家の奥谷安弘さんと室町時代の四職を務めた一色氏の研究家 森哲也さんをご紹介したところ…
「一色軍記」の中で石井さんのご先祖が奮戦される下りが見つかりました。
そして、由良の歴史をさぐる会役員の皆さんと台北鉄道の創業者 澤井市造の生誕地やお墓、今年100年目を迎えた由良川橋梁などの名所をご案内しました。
石井さんは経営学だけでなく、歴史文化に関しても造詣が深く、好奇心が旺盛です。
今年で100周年を迎えた由良川橋梁と台北鉄道の創業者 澤井市造の胸像を訪れたJR九州 初代社長 石井幸孝さん
台北鉄道の創業者 澤井市造のお墓(台北市にもある)と生家跡
如意寺にある三庄太夫の首塚
如意寺 快慶の地蔵菩薩坐像(身代り地蔵)を見学
康清(こうせい・織田信長木造座像の作者)の阿弥陀如来坐像を見学
先日 京都府の文化財に指定されました。
奈具神社
石井幸孝さんは平安時代の延喜式内社を回られています。
江戸時代末期の蘭方医 新宮凉庭の旧宅で新宮凉輔さんの説明を受ける石井幸孝さん
ハクレイ酒造を訪問
今年で10周年を迎えた由良オリーブを育てる会の会長 藤本徳雄さんとオリーブ談義
由良マリンハウスで
皿が来るたびに「美味い」を連発されていました。
帰省初日の夜は波路の「なみじ」で
帰省2日目の夜は漁師町の「本藤さん」で

丹後で生き抜く蝶 ~第8回 西村元延 写真展・西村和与 遺作展~

幼馴染の西村知久くんのお父さんが2年振りに蝶の写真展を開催しています。
昨年はお母さんが亡くなり、今回は遺作展も兼ねています。
・期間:6月13日(火)~18日(日) 10~18時(最終日のみ17時迄
・場所:ミップル3F 浜町ギャラリー
[西村元延さんの経歴]
1938年 三重県熊野市生まれ。
1960年 京都大学農学部卒業。
1964年 京都府立海洋センターで栽培漁業等担当。
2003年 退職後、全国各地で蝶の採集を開始。
丹後・丹波虫の会や日本鱗翅学会の会員。
1年振りに漁師町のご実家に帰省されたJR九州 初代社長 石井幸孝さんもお立ち寄り頂きました。

インボイスとゲノム編集の請願2件は不採択 ~総務文教委員会~

3月定例会から継続審査となっていた懸案の請願2件は、委員長の私を除く全委員5人のうち賛成1人で不採択となりました。
①「インボイス制度実施中止を求める意見書」を政府に送付することを求める請願書

予算委員会20230612

補正予算と追加議案を審査し、全件可決しました。
[議案参考資料 補正予算の概要]
[議案参考資料 補正予算の概要(追加)]
私は以下の議案で質疑と委員会討議で発言しました。
1.0.24.04~0.32.08
空き家の利活用促進と子育て世帯へのすまい確保支援の充実 ~若者が住みたい、選ばれるまちづくりに向けて~
①まちなか空き家の利活用促進に向けた活用モデルの構築 10百万円のサブリース方式を活用した空き家活用モデル事業
②子育て世帯への「つつじが丘団地」新築支援 4百万円
2.1.08.56~1.29.54・1.57.20~2.01.28(委員間討議)
観光事業者と連携した観光地の高付加価値化
①観光消費額の向上につなげる「面的観光DX化事業」 100百万円
②「食」による観光誘客「宮津ガストロノミーツーリズム実証事業」 20百万円
3.1.41.36~1.44.19
万博に向けたインバウンド誘客の推進
〇海の京都「みやづBAY花火(仮称)」の実証支援

松原橋東岸の草刈り202306

松原橋東岸の草刈りは毎夏3度行います。
今年は、京都府の城南自治会と契約する決裁が遅れ、先週末に行った城南自治会の一斉清掃に間に合いませんでした。
今日も雲行きが不安でしたが、午前7時に判断し、運よく雨の合間に草刈りが無事できました。
いつもの休憩中のトピックスは…
今後、高齢化が進む中で、この草刈りをどうするか?
で、「コンクリートに変える」「宮津市に作業を任せよう」などの意見が交わされました。

一般質問の発言通告書と原稿20230609

6月9日(金)に一般質問をしました。
今回は第2質問で宮津市の偉人24名の説明に時間を割き、質問を少なくしました。
改めてデータの整備と交流の大切さを感じます。
一般質問の発言通告書と原稿とともに全24名の写真や関連資料の一部を添付します。
宮津市名誉市民①/7
塩田廣重(しおたひろしげ)さん
1873(明治6)年に市内柳縄手で生まれで、東京帝国大学医学部卒業後、同大学教授、日本医科大学学長、貴族院勅選議員などを歴任。
学士院会員、日本ガン研究会の会長など医療の発展に大きく貢献され、正三位勲一等瑞宝章を受章されました。
宮津市名誉市民②/7
白杉嘉明三(しらすぎかめぞう)さん
1876(明治9)年に市内宮本町で生まれ、㈱大林組の初代会長を務められた後、1898(明治31)年から1975(昭和50)年まで77年にわたって同社の相談役として3代の社長を輔け、しばしば宮津市へ多額の寄附をされ、当市の育成資金創設に役立てるなど市政の発展に大きく貢献されました。
従四位勲二等瑞宝章を受章されています。
尚、宮津市のHPに大林組の重鎮だった記載が欠落。宮津市に寄付頂いた大林組の株は現時点170百万円。
宮津市名誉市民③/7
前尾繁三郎さん
1905(明治38)年に市内住吉で生まれ、東京帝国大学法学部卒業後、大蔵省へ入省し、主税局長、造幣局長などを歴任。
その後、衆議院議員となり、通商産業大臣、法務大臣、衆議院議長などを歴任し、従二位勲一等旭日桐花大綬章を受章されました。
尚、私が小学3~6年生のとき担任して頂き、生涯の恩師となる前尾知三先生は前尾繁三郎さんの甥になります。
宮津市名誉市民④/7
矢野二郎さん
1922(大正11)年に市内住吉で生まれ、京都帝国大学大学院修了後、官立和歌山工業専門学校教授、宮津市教育委員会委員長、教育長などを経て、1958(昭和33)年から7期26年間にわたり宮津市長を務め、正五位勲三等瑞宝章を受章されました。
宮津市名誉市民⑤/7
早石修さん
1920(大正9)年生まれで、本籍が江尻、大阪帝国大学医学部を卒業後、ワシントン大学助教授、京都大学教授、同医学部長、同名誉教授のほか東京大学教授、大阪大学教授、大阪医科大学学長などを歴任。
新酵素の発見などをはじめアミノ酸代謝に係る研究等に多大な功績を残すなど生物の生命現象を化学的方法を用いて研究する生化学の世界的な権威者として活躍されました。
日本学士院賞、文化勲章、文化功労賞、従三位勲一等瑞宝章を受章されました。
宮津市名誉市民⑥/7
細見卓(ほそみたかし)さん
1920(大正9)年に市内宮村で生まれ、東京帝国大学経済学部卒業後、大蔵省へ入省し、大蔵省財務官、同顧問、海外経済協力基金総裁などを歴任。
1971(昭和46)年8月15日にアメリカ合衆国のニクソン大統領がいきなり発表したドルと金の交換停止によってドルの価値が急落し、ドルを基軸とする国際通貨制度が崩壊しました。
超円安の1ドル360円の固定相場が崩れ、日本の輸出産業をベースとした高度経済成長が止まり、太平洋戦争につぐ2度目の敗戦記念日と言われる国難となったニクソン・ショック時に国際通貨問題の最高責任者として重責を果たすなど経済の発展に大きく貢献され、勲一等瑞宝章を受章されました。
宮津市名誉市民⑦/7
大西正文さん
1924(大正13)年に大阪市で出生、父親の元高松高等裁判所長官の大西道太郎さんが宮津市小寺の出身だったので、ご本人も青年期を小寺で過ごされました。
京都大学大学院修了後、大阪ガス株式会社に入社し、社長、会長、相談役などを歴任。
大阪商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、アジア商工会議所連合会会長、日本ガス協会会長、近畿日本鉄道、朝日放送やリーガロイヤルホテルなどの取締役、大丸の監査役なども務められ、藍綬褒章と勲一等瑞宝章を受章されました。
尚、大西正文さんが大阪商工会議所の会頭を務められた1992~1999年は、私も大阪支店に勤務していて心強かったです。
「宮津市特別栄誉賞」の受賞者1名のみ
尾崎邑鵬(おざきゆうほう)さん
1924年(大正13)年1月5日に辛川で生まれ、宮津青年学校研究科修了後、上宮津農業協同組合に勤務し、1951(昭和26)年から書道の本格的な勉強のため大阪へ転居されました。
その後1955(昭和30)年に日本書芸院展で特別賞一席を取られてから、関西綜合展も関展賞一席、日本美術展覧会(通称「日展」)の菊花賞、大阪府文化芸術功労者として知事表彰の受章、読売書法展の大賞、日展の文部大臣賞、大阪府八尾市文化賞、日本芸術院賞等を次々に受賞されました。
そして、日展の常務理事・日本書芸院理事長・全日本書道連盟理事長を歴任され、現在も日展の顧問など日本書道会の重鎮を務めていらっしゃいます。
1997(平成9)年に勲四等旭日小綬章、2016(平成28)年に文化功労賞を受賞されました。
この時、市議会議員なり立ての私は尾崎邑鵬さんを顕彰することができないか当時の井上市長に議場でお尋ねしたところ、「宮津市特別栄誉賞」を翌年に作って頂き、2018(平成30)年6月に尾崎さんが初めて受賞されました。
そして、尾崎さんが主宰され全国展開する「由源社」の書道教室を宮津で開いていらっしゃる岩瀬秀苑さんにお願いして、宮津市「議会だより」の一般質問コーナーの題字「市政を問う」を尾崎邑鵬さんの直筆で頂きました。
本年2月は成田山書道美術館に於いて、数え年で100歳になられた尾崎邑鵬さんの個展が開催され、1993(平成4)年10月に宮津の前尾記念文庫(現在の前尾記念クロスワークセンターMIYAZU)で開催された個展の写真など尾崎さんの宮津在住時の資料もたくさん展示され、宮津のPRもして頂き、地元からの参加者の一人としてとても晴れやかな気持ちでいっぱいになりました。
宮津出身の著名人(現存者) ①/9
アサヒビール㈱ 竹縄亨 名誉顧問(元副社長) 99歳
アサヒビールの業績低迷時に旧住友銀行出身の樋口廣太郎 社長と共にプロパー社員のトップ「副社長」を務められました。
タスクフォースを組成して「スーパードライ」を開発、起死回生の大ヒットとなった逸話など興味深く貴重なお話をして頂いています。
宮津出身の著名人(現存者) ②/9
気象学者 増田善信さん 99歳
広島の原爆投下後に降った「黒い雨」の範囲を分析。
出身は京丹後市弥栄町で、旧制宮津中学時代に竹縄さんと同級生、宮津測候所に勤務。
宮津出身の著名人(現存者) ③/9
JR九州の初代社長 石井幸孝(いしいよしたか)さん 90歳
デザイン列車や不動産と店舗の強化で前年度もJR九州のみ黒字。
現在も新幹線物流、インドへの新幹線輸出・JR北海道の立て直しなどで活動中。
宮津出身の著名人(現存者) ④/9
㈱フジ・メディア・ホールディングス 尾上規喜 常勤監査役(元副社長) 88歳
フジテレビの曙町からお台場への本社移転、敵対買収への対応などに尽力。
1960年の安保闘争でデモ隊が国会議事堂に突入した折、東京大学の学生・樺美智子さんが亡くなった騒動を国会の門柱に登って撮影した武勇伝もあり。東京丹後人会の会長。
宮津出身の著名人(現存者) ⑤/9
ルパン三世やムーミンなどのアニメ監督 大隅正秋さん 88歳
昨年6月に「戦後の宮津劇場集団M.E.S.から始まる日本アニメの歴史!」と題して宮津で講演頂きました。
慶應義塾大学の留学生向け講義「静止画表現のアニメ史的な役割」は、今年で15年目を迎えました。
宮津出身の著名人(現存者) ⑥/9
公益財団法人さわやか福祉財団 堀田力(ほったつとむ)会長 89歳
元東京地検特捜部検事(ロッキード事件担当)で、田中角栄元総理に論告求刑した元辣腕検事。
宮津市の社会福祉協議会が赤字体質であることをお伝えしたら20百万円寄付頂きました。
ひけらかすことなく「日本にも欧米並みの寄付文化を根付かせたい」と仰られた堀田さんの度量の広さに感服します。
宮津出身の著名人(現存者) ⑦/9
関西大学法学部の名誉教授で租税法の権威 村井正さん 88歳
立命館大学法学部卒、京都大学の大学院に在籍中、ドイツのハイデルベルク大学に留学。
宮津出身の著名人(現存者) ⑧/9
宮津市立図書館100周年記念講演を頂いたミステリー作家 山崎洋子さん
1986年に「花園の迷宮」で第32回江戸川乱歩賞を受賞され、「ヨコハマ幽霊ホテル」「ホテルウーマン」「熱月(テルミドール)」など数々の名作を著わされています。
山崎さんの作品は多数の映画やドラマになり、以前はテレビ朝日の「スーパーモーニング」のコメンテーターとしてレギュラー出演され、現在、横浜市の行政や市民活動、講演などでもご活躍中です。
宮津出身の著名人(現存者) ⑨/9
東京海上ビジネスサポート㈱ 小室知彦 社長(東京海上日動火災保険㈱元常務)
由良出身で小学生時代から習った剣道は6段の腕前、母校の信州大学で経済学の講義もされます。
宮津出身の著名人(物故者) ①/7
幕末の蘭方医で財政家の新宮凉庭さん
京都南禅寺の湯豆腐店「順正」の書院は、新宮凉庭が作ったサロンで、越前藩主の松平春獄や坂本龍馬の推薦で明治維新後に政府の御用金穀取扱方(現代の財務大臣)を務め、由利公正と改名した三岡八郎や勤王の獅子たちも集まったと伝わります。
現在は国の指定文化財になっています。
宮津出身の著名人(物故者) ②/7
台湾鉄道の創始者 澤井市造さん
明後日、帰省される上述のJR九州初代社長の石井幸孝さんから伺いましたが、台北市にある澤井市造の墓の隣は第7代台湾総督の明石元二郎だそうです。
明石は日露戦争前にロシア帝国公使館付陸軍武官としてロシアの反政府分子の工作活動を図り、旅順要塞の図面を取り付けた山川の教科書にも出てくる人です。
宮津出身の著名人(物故者) ③/7
NTTの第2代社長 山口開生(はるお)さん
旧制宮津中学、東京大学第二工学部を卒業後、旧逓信省に入省、電気通信省を経て、日本電信電話公社となり、建設局長、施設局長、技師長等を歴任。
戦災によって壊滅状態にあった電話網の普及や、電話の即時化等に貢献した。
日米貿易摩擦の問題が浮彫りになった1980年代には、独自の資材調達方法を確立し問題解消した。
市役所前にある料亭ふみやはご親戚で、NTTの社長時代の日経新聞担当者は宮津出身。
宮津出身の著名人(物故者) ④/7
灘高校の国語教師 橋本武さん
「銀の匙」(ぎんのさじ)を3年間かけて徹底的に読み解く授業がテレビや本で話題です。
宮津出身の著名人(物故者) ⑤/7
阪急ブレーブス最後の球団社長 岡田栄さん
京丹後市丹後町出身で、旧制宮津中学卒。
海軍兵学校74期生で、私がいた会社の米倉国輔社長と同期。
矢野元市長の妹さんが妻で、宮津市民球場の球場開きの折はプロ野球ウエスタンリーグ6球団を連れてきてくれた経緯など貴重なお話を伺いました。
また、丹後海陸交通㈱の社長や阪急電鉄の監査役も務められました。
宮津出身の著名人(物故者) ⑥/7
㈱島津製作所 藤原菊男 元社長
京丹後市丹後町で、旧制宮津中学卒。
宮津高校(現宮津天橋高校)の創立100周年の記念講演をされました。
宮津出身の著名人(物故者) ⑦/7
川崎重工業㈱の元社長 砂野仁(いさのまさし)さん
与謝野町加悦出身で、旧制宮津中学卒。
宮津天橋高校(旧宮津高校)の体育館にあるグランドピアノは砂野さんの寄付です。

追加議案2件 ~議会運営委員会~

追加議案が2件提案され、議会運営委員会が開催されました。
1.議第52号 養老地区公民館放射線防護対策工事の請負契約
原子力災害時に養老・日ヶ谷地区が孤立した場合に備え、要配慮者が一時的に安全に屋内退避できるよう養老地区公民館を放射線防護施設として整備する工事の請負契約について、条例で議会に付すべきと規定する額(予定価格1億5千万円)以上の契約となるため、議会の議決を求めるもの。
2.議第53号 令和5年度宮津市一般会計補正予算(第3号)
総合的な移住定住対策として、京都府の事業採択等に伴う住環境の充実に向けた空き家利活用モデルの構築等を行うほか、国の事業採択を受けた観光地の高付加価値化やインバウンド誘客推進に向けた取組として、宿泊データ収集分析システムの構築やガストロノミーツーリズムの実証事業、阿蘇海・府中地区のナイトコンテンツ造成、海の京都「みやづBAY花火(仮称)」に係る経費を計上するもの。

ゲノム編集とらふぐ養殖場の視察と講習会

ゲノム編集とらふぐの「ふるさと納税返礼品」に関する請願書の審査に関し、6月4日(日)は午前中に小田宿野地区の宮津エネルギー研究所跡にある養殖場を総務文教委員会の議員6名で視察しました。
午後はミップルの3階で宮津市主催の「ゲノム編集技術応用食品に係る講習会」に出席しました。