プロフィール

・ 1966(昭和41)年1月6日生まれ、宮津市城内・城東地区で成育。
・ 京都府立宮津高等学校普通科を卒業。
・ 立命館大学法学部法学科を卒業。
・ 三井リース事業株式会社に入社。(現JA三井リース株式会社)
・ 2014年5月、同社を退社。
・ 同年6月、宮津市議会議員に初当選。
・ 同年7月、総務文教委員会副委員長・宮津与謝消防組合議会議員に就任。
・ 2016年7月、産業建設福祉委員・議会情報化委員会副委員長に就任。
・ 2018年7月、副議長・予算決算委員会副委員長・議会情報化委員会委員長に就任。
・ 2018年12月、宮津与謝環境組合議会議員、政治倫理特別委員会委員長に就任。
・ 趣味:旅行、映画鑑賞、読書など。
・ スポーツ:バレーボール(高校・大学)、野球(中学・社会人)、ゴルフなど。
・ 座右の銘:窮すれば変ず、変すれば通ず、通ずれば久し。
・ 好きな言葉:人こそ財産。得意淡然、失意泰然。色即是空、空即是色。

【小学生時代】
3年生の通知簿に「絵に描いたようなわんぱく小僧」と書かれるほど自由奔放に育ちました。
探検や基地ごっこが大好きで、現在の京都丹後鉄道 宮福線の長いトンネルが完成した時などは、皆で探検に出かけて、2kmほど進んだ辺りでゴーっという音と共に奥から小さな灯が近づいてきました…
そして、「幽霊や!」と叫んで、皆で一目散に引き返しました。
やっとの思いで出口に辿り着き、近づいてくる「轟音」と大きくなる「灯」に皆で息をのんで見守っていると…
「幽霊の正体」は、農作業の軽トラでした。
その「逃げ足」と「チームワーク」が役立ったのか、3・4年生の400mリレーでは宮津小学校の記録を17年振りに塗り替え、6年生の京都府民陸上に於いて100m走で3位に入賞、生まれて初めて新聞に名前が載りました。
(悪事をはたらいて載らず、親はほっとしたそうです)

【中学生時代】

野球部に入部し、毎日グランドを10周走らされている内に長距離も早くなり、駅伝と800mでも活躍できました。
伯父の郷土史家 梅本政幸や友人の影響を受け、地元の歴史研究と司馬遼太郎等の歴史小説を読み始めたのもこの時期です。

【高校時代】

中3の時に応募した市制25周年記念作文で、「躍動する僕達の宮津市」が高1の春に市長賞を受賞し、生まれて初めて写真付きで新聞各紙に掲載されました。
更に京都新聞の丹後版「人ひとこと」という特集記事の取材を受け、「将来は市議会議員になって、宮津を盛り返したいです」と答えました。
またバレーボール部に所属し、学園祭では、2年生で青春ドラマの映画「心にスニーカーをはいて」、3年生でパロディ演劇「戸津川ヨットスクール物語」の脚本・監督を務めました。
2年生の1月より生徒会長も務めました。
当時は受験戦争といわれる時代で、生徒会は事務量が多く、役員のなり手がない為、役員数の規約を変えて30人態勢で行事毎にチームを作って、分業とチームワークを徹底しました。
春と夏に合宿も行い、肝試しやソフトボールを交えて真剣に宮津高校を盛り上げるイベントを企画していました。
当時のキャッチコピーは「楽しくなけりゃ生徒会じゃない!」です。

【大学生時代】

行政学ゼミで地方自治を専門に学び、卒業論文は「リゾート法と過疎化対策」でリゾート法の問題点指摘と丹後半島の廃村を取材しました。
また、関西学生リーグ所属バレーボール・サークルBISHI BASHIで副会長を務めました。
JTB添乗員や京都撮影所エキストラ、引っ越し等のアルバイトで蓄えた資金で、国内外を一人旅して見聞を広めました。
「青春18きっぷ」で一周した九州、山陰etc.懐かしい思い出です。
殊に「地球の歩き方」を片手にバックパッカーとして3回生の春休みにアメリカをグレイハウンドバス(長距離バス乗り放題)で縦横断し、4回生の卒業旅行では、ヨーロッパ10ヵ国をユーレイルパス(普通列車乗り放題)で闊歩し、各地のユースホステルやバス、電車で寝泊まり、感じたこと、知り合った外国の友人は、一生の宝物です。

【社会人】
社会人になってからは、海外業務部、国際営業部、大阪支店、自動販売機部、広島支店、三井グループ営業部で勤務、提案型ビジネスを推進し、多数のプロジェクトに携わりました。
国内外を問わず、出張の多い仕事でしたが、事業規模に拘わらずビジネスを通じた各地財界の皆さんと真剣勝負で仕事に取り組めたことは、様々な考え方や合理的な手法等を学べた私の財産です。
多忙な毎日でしたが、野球部に所属し生涯現役としてファーストを守り、仕事後のナイターや休日のグランドで汗を流しました。
勝っても負けても、試合後の一杯が大好きです。

〇関連リンクの動画
宮津メディアセンター「宮津市議会議員に訊く」2014年夏撮影₍初当選直後₎