大映時代の京都撮影所はやたら広い!

学生時代にお世話になった京都撮影所の元広瀬組社長のご自宅を訪れ、久し振りに太秦を散策しました。
学生時代から京阪電鉄 帷子ノ辻駅の南側に「大映通り」のネーム入り街燈を何気なく見てましたが…
今の太秦中学校辺り全体が撮影所だったと伺いました。
映画「羅生門」国際賞受賞記念碑
大映株式会社京都撮影所の門標から、太秦中学校の正門をはさみ、北側にあります。
【映画「羅生門」国際賞受賞記念碑】
太秦の地は、かつて日本のハリウッドと呼ばれていた。
たくさんの文芸作品、娯楽映画がこの地で生まれ、人々に喜びを与え、心に感動を刻んできた。
昭和25年には、大映京都撮影所が制作した「羅生門」が第12回ベネチア国際映画祭でグランプリを、21回米アカデミー賞でも外国映画部門特別賞を獲得し、日本映画の素晴らしさを広く世界に知らしめた。
大映京都撮影所では、この栄えある受賞を記念して、金獅子像とオスカー像をモチーフとした、記念碑を建立、その周辺は「グランプリ広場」として親しまれていた。
しかしその後撮影所は閉鎖され、「グランプリ広場」はなくなり、記念碑なども散逸のやむなきに至っていた。
このたび、京都の映画文化と地元太秦の歴史を後世にに伝えたいと地元の熱い願いを桝本頼京都市長に要望し、大映京都撮影所跡地である京都市立太秦中学校にグランプリ広場を復元した。
4年間住んだ嵐山の今昔とテレビが普及する前の映画全盛時代に思いが馳せます。
また、1979年に発行された「郷土の今昔」(嵐山学区郷土誌研究会)を拝借し、明治時代初期の「渡月橋」が八幡の流れ橋と見間違えるほどの写真に驚きました。
明治時代初期の「渡月橋」が八幡の流れ橋と見間違えるほどの写真に驚きました。