ドイツ人作家ケラーマンが愛した宮津を歩く

宮津観光アテンドまちなか案内人の企画です。
ドイツ人作家のケラーマンとスイス人画家カール・ヴァルザーは、1908(明治41)年に宮津の荒木別荘(今のよさの荘)に1ヶ月滞在し、小舟で「新浜」の花街に通い、日本の風習や人々の営みを細やかに観察しました。
帰国後、「宮津」を最も心惹かれた場所として宮津滞在記「SASSA YO YASSA(さっさ よ やっさ」で紹介しています。
今般、昔の風情が残る新浜から漁師町を通って荒木別荘(今のよさの荘)まで歩きました。
宮津観光アテンドまちなか案内人の会長 宮﨑奈智江さんの説明を拝聴しながら、ケラーマンの目線でいつもと違う宮津を堪能しました。
西堀川通りにあった見返り柳の跡
今はお地蔵さんが移設され、柳がありません。
西堀川通りの南側を望む
1916(大正5)年6月の西堀川通り
西堀川通りと新浜通りの交差点
昔は、ここに門があったそうです。
新浜通の東方向を望む
新浜の遊郭跡
今は敷地内で飯尾醸造がシチリア料理「aceto」と高級寿司店「西入る」を経営しています。
新浜の遊郭跡
新浜歌舞練場「検番」(けんばん)の跡地
新浜歌舞練場「検番」(けんばん)の写真
本年6月に地元の方は所有する写真を発見し、宮津市教育委員会でも写真を撮影して頂きました。
昔の番付表
宮津観光アテンドまちなか案内人の宮﨑奈智江 会長
旧三上家住宅
「宮津火力発電所」発祥の地
私の祖父は技師で、シーメンス製のタービンが度々止まり、当時の宮津町民が怒って発電所に押しかけてきたと子どもの頃に何度も伺いました。
北前船の船頭の子孫 由良の加藤正一さん
今回歩いてみて気が付きましたが…
漁師町は蔵だらけです。
浪花会館と岩城清一さん
道中の解説が素晴らしかったです。
前尾繁三郎 元衆議院議長の生家跡
矢野二郎 元宮津市長のご自宅跡
JR九州 石井幸孝 初代社長のご実家
表は普通の家ですが…
漁師町は、練り製品の会社が軒を連ねています
岩洞長治郎の碑と如願寺川
江戸時代の初期に京都相撲で活躍した宮津出身の横綱 岩洞長治郎を顕彰するものです。
大正時代に島崎公園で開催された名横綱「太刀山」の引退興行を記念して、漁師町の人達が太刀山の揮毫を得て建てたそうです。
和菓子屋さんの跡地
ケラーマンが滞在した荒木別荘跡のよさの荘で「丹後ばら寿司」を食べました。
宮津観光アテンドまちなか案内人の宮﨑奈智江 会長
「丹後ばら寿司」の歴史等を紐解いていらしゃる丹後郷土資料館の北岡貴英 館長
縞の財布の会の皆さんの踊り
宮津踊り振興会の皆さんの踊り