第33回 天橋立ツーデーウオーク2024

宮津市民と全国から集まった大勢の人が宮津を2日間闊歩しています。
今年は6~25kmの6コースの中から「6km天橋立散策コース」を10年間変わらないいつものメンツで歩きました。
加齢と共に…
道中の話題は「健康の大切を実感する」ことです。
会場に集まった「6km天橋立散策コース」の参加者
名水百選 磯清水
海の真ん中にありますが、真水が出ます。
天橋立神社(天橋立大明神)に隣接しています。
天橋立の「磯清水」説明板
文中の「永井尚永」は、学問を好んだ「文人藩主」と称されましたが…
4代将軍徳川家綱が亡くなり、延宝8年6月26日(1680年7月22日)、法会が増上寺で行われ、尚長はその奉行に任じられましたが、法要の最中、志摩鳥羽藩主で方丈口勤番を務めていた内藤忠勝に刺殺されました。
殺害された理由は忠勝の狂気のためと「徳川実紀」などの史料に記されてますが、忠勝との不和が原因説、逆に尚長が忠勝に遺恨をもって斬りかかったが返り討ちにあったという説もあります。
これは「増上寺刃傷事件」として有名ですが、1987年に放送されたTBSの「水戸黄門」第17部(全26話)でも取り上げられました。
(私もエキストラとして度々出演しています)
永井尚長には嗣子がなく、殺害された経緯から宮津藩を改易に処されました。
後に弟の永井直圓に1万石が与えられ、大和新庄藩主として大名永井宗家を再興しています。
元禄15年12月14日(1703年1月30日)に起きた「赤穂浪士の討ち入り」の元になった元禄14年3月14日(1701年4月21日)の「松の廊下事件」の21年前の出来事です。
天橋立神社(天橋立大明神)
江戸時代に日本花火の源流となった稲富流砲術の稲富祐直が天橋立明神の神前に参籠して17日間断食して盲打ちという工夫をあみ出したと伝わります。
軍艦春日の大砲
与謝蕪村の歌碑
お母さんは与謝野町加悦の出身だと伝わります。
岩見重太郎 試し切りの石
桃山時代に信濃のひひを退治した講談等で知られる豪傑・岩見重太郎が親の仇を討った場所です。
慶長20(1615)年に大坂夏の陣で豊臣方に加わり、道明寺の戦いで討ち死にした薄田兼相(すすきだかねすけ)と同一人物とする説もあります。
天橋立ビューランドから眺める天橋立「飛龍観」
天橋立は如意に龍神が土を盛り一夜にして創り出したという話しが九世戸縁起にあります。
ビューランドから宮津市街地を望む
今日のスイーツ