約1万個の燈籠が漂う海面で精霊船に点火され、初盆の家族が故人とのお別れのお祈りをしました。
そのあと約40分間で約3千発の花火が打ち上げられ、夏の祭典を堪能しました。
尚、1924(大正13)年に旧国鉄の西舞鶴~宮津駅の開通を記念して始まった「宮津の花火大会」は、今回100周年を迎えました。
「宮津燈籠流し」の由来は…
天正8年8月2日(グレゴリオ歴1580年9月20日)に織田信長の命を受けた細川藤孝(後の幽斎)が室町時代の守護大名 一色家が守る丹後攻略のため新婚の嫡男 忠興とその妻 たま子(明智光秀の三女、後のガラシャ)を連れて八幡山城に入城しました。
その後、海辺に宮津城を築き城下町が形づくられました。
城下の人々が盆に迎えた先祖の霊を再び極楽浄土へ送るため、供物にともし火を添えて海へ流したのが宮津の燈籠流しの始まりだと伝わります。
やがて海へ流す供養火の美しさが評判となり、多くの見物客を迎えるようになったそうです。
子どもの頃から…
しだれ柳は夏の終わりを告げるように感じます。
フィナーレは昼間のように明るくなります。
「歴史と文化を活かしたまちづくり」を図りたいものです。
花火大会の翌朝は恒例の市民ボランティアの清掃です。
集まったゴミを仕分けする市役所の担当者
ゴミの持ち帰り運動の推進と、露店やミップルの皆さんが昨夜の内にゴミを自主回収してくれるようになり、昔と比べると随分ゴミの量が減りました。
京都府宮津市で「日本三大燈籠流しの一つ」 夜空彩る花火と海上の燈籠で先祖を思う|社会|地域のニュース|京都新聞 (kyoto-np.co.jp)
精霊、海へ見送る 宮津灯籠流し花火大会 /京都 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
宮津燈籠流し花火大会20240816精霊船 (youtube.com)