今月の日本経済新聞「私の履歴書」は 第一三共株式会社の中山譲治 常勤顧問でした。
中山氏のお父さんは医者から政治家となり外務大臣を務めた中山太郎さんです。
中山譲治さんはサントリー勤務時の1982年に「やってみなはれ」の佐治敬三 社長の右腕で財務部長を務める木下毅さんから学んだ内容を紐解かれ、私にとっても感慨深いものでした。
1980年代の企業は銀行の間接金融から社債を発行する直接金融に進化していく過渡期で、木下毅さんは社債に関する大蔵省(現財務省)のヒアリング時に古い金融体制を象徴する社債発行限度暫定措置法の撤廃を提案されたそうです。
1999年1月に木下毅さんはサントリーフーズ株式会社の社長に就任、私も同年4月に三井リース事業(MLD)の自動販売機部へ異動し、同社を担当します。
当時としては画期的な提案型商内を編み出し有頂天になっていた私は木下毅さんにも提案したところ、随分喜んでくれました。
そして大きな宿題を何度も与えられ、一つずつ解決していく過程でブラシュアップしていきました。
さくら銀行の役員だった立岩寛吾 専務や若貴ブームの「二子山部屋の谷町」など社内外を問わず多くの皆さんのご協力も得て、後に提案型商内が実現しました。
サントリーの秘書課に引退後の木下毅さんとの面会を申し入れると、いつも「〇〇競馬場へ来なさい」との返答で、長らくお会いしていませんでしたが、近々改めて木下節を拝聴しに伺いたいと思います。