一般質問の発言通告書と原稿20230609

6月9日(金)に一般質問をしました。
今回は第2質問で宮津市の偉人24名の説明に時間を割き、質問を少なくしました。
改めてデータの整備と交流の大切さを感じます。
一般質問の発言通告書と原稿とともに全24名の写真や関連資料の一部を添付します。
宮津市名誉市民①/7
塩田廣重(しおたひろしげ)さん
1873(明治6)年に市内柳縄手で生まれで、東京帝国大学医学部卒業後、同大学教授、日本医科大学学長、貴族院勅選議員などを歴任。
学士院会員、日本ガン研究会の会長など医療の発展に大きく貢献され、正三位勲一等瑞宝章を受章されました。
宮津市名誉市民②/7
白杉嘉明三(しらすぎかめぞう)さん
1876(明治9)年に市内宮本町で生まれ、㈱大林組の初代会長を務められた後、1898(明治31)年から1975(昭和50)年まで77年にわたって同社の相談役として3代の社長を輔け、しばしば宮津市へ多額の寄附をされ、当市の育成資金創設に役立てるなど市政の発展に大きく貢献されました。
従四位勲二等瑞宝章を受章されています。
尚、宮津市のHPに大林組の重鎮だった記載が欠落。宮津市に寄付頂いた大林組の株は現時点170百万円。
宮津市名誉市民③/7
前尾繁三郎さん
1905(明治38)年に市内住吉で生まれ、東京帝国大学法学部卒業後、大蔵省へ入省し、主税局長、造幣局長などを歴任。
その後、衆議院議員となり、通商産業大臣、法務大臣、衆議院議長などを歴任し、従二位勲一等旭日桐花大綬章を受章されました。
尚、私が小学3~6年生のとき担任して頂き、生涯の恩師となる前尾知三先生は前尾繁三郎さんの甥になります。
宮津市名誉市民④/7
矢野二郎さん
1922(大正11)年に市内住吉で生まれ、京都帝国大学大学院修了後、官立和歌山工業専門学校教授、宮津市教育委員会委員長、教育長などを経て、1958(昭和33)年から7期26年間にわたり宮津市長を務め、正五位勲三等瑞宝章を受章されました。
宮津市名誉市民⑤/7
早石修さん
1920(大正9)年生まれで、本籍が江尻、大阪帝国大学医学部を卒業後、ワシントン大学助教授、京都大学教授、同医学部長、同名誉教授のほか東京大学教授、大阪大学教授、大阪医科大学学長などを歴任。
新酵素の発見などをはじめアミノ酸代謝に係る研究等に多大な功績を残すなど生物の生命現象を化学的方法を用いて研究する生化学の世界的な権威者として活躍されました。
日本学士院賞、文化勲章、文化功労賞、従三位勲一等瑞宝章を受章されました。
宮津市名誉市民⑥/7
細見卓(ほそみたかし)さん
1920(大正9)年に市内宮村で生まれ、東京帝国大学経済学部卒業後、大蔵省へ入省し、大蔵省財務官、同顧問、海外経済協力基金総裁などを歴任。
1971(昭和46)年8月15日にアメリカ合衆国のニクソン大統領がいきなり発表したドルと金の交換停止によってドルの価値が急落し、ドルを基軸とする国際通貨制度が崩壊しました。
超円安の1ドル360円の固定相場が崩れ、日本の輸出産業をベースとした高度経済成長が止まり、太平洋戦争につぐ2度目の敗戦記念日と言われる国難となったニクソン・ショック時に国際通貨問題の最高責任者として重責を果たすなど経済の発展に大きく貢献され、勲一等瑞宝章を受章されました。
宮津市名誉市民⑦/7
大西正文さん
1924(大正13)年に大阪市で出生、父親の元高松高等裁判所長官の大西道太郎さんが宮津市小寺の出身だったので、ご本人も青年期を小寺で過ごされました。
京都大学大学院修了後、大阪ガス株式会社に入社し、社長、会長、相談役などを歴任。
大阪商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、アジア商工会議所連合会会長、日本ガス協会会長、近畿日本鉄道、朝日放送やリーガロイヤルホテルなどの取締役、大丸の監査役なども務められ、藍綬褒章と勲一等瑞宝章を受章されました。
尚、大西正文さんが大阪商工会議所の会頭を務められた1992~1999年は、私も大阪支店に勤務していて心強かったです。
「宮津市特別栄誉賞」の受賞者1名のみ
尾崎邑鵬(おざきゆうほう)さん
1924年(大正13)年1月5日に辛川で生まれ、宮津青年学校研究科修了後、上宮津農業協同組合に勤務し、1951(昭和26)年から書道の本格的な勉強のため大阪へ転居されました。
その後1955(昭和30)年に日本書芸院展で特別賞一席を取られてから、関西綜合展も関展賞一席、日本美術展覧会(通称「日展」)の菊花賞、大阪府文化芸術功労者として知事表彰の受章、読売書法展の大賞、日展の文部大臣賞、大阪府八尾市文化賞、日本芸術院賞等を次々に受賞されました。
そして、日展の常務理事・日本書芸院理事長・全日本書道連盟理事長を歴任され、現在も日展の顧問など日本書道会の重鎮を務めていらっしゃいます。
1997(平成9)年に勲四等旭日小綬章、2016(平成28)年に文化功労賞を受賞されました。
この時、市議会議員なり立ての私は尾崎邑鵬さんを顕彰することができないか当時の井上市長に議場でお尋ねしたところ、「宮津市特別栄誉賞」を翌年に作って頂き、2018(平成30)年6月に尾崎さんが初めて受賞されました。
そして、尾崎さんが主宰され全国展開する「由源社」の書道教室を宮津で開いていらっしゃる岩瀬秀苑さんにお願いして、宮津市「議会だより」の一般質問コーナーの題字「市政を問う」を尾崎邑鵬さんの直筆で頂きました。
本年2月は成田山書道美術館に於いて、数え年で100歳になられた尾崎邑鵬さんの個展が開催され、1993(平成4)年10月に宮津の前尾記念文庫(現在の前尾記念クロスワークセンターMIYAZU)で開催された個展の写真など尾崎さんの宮津在住時の資料もたくさん展示され、宮津のPRもして頂き、地元からの参加者の一人としてとても晴れやかな気持ちでいっぱいになりました。
宮津出身の著名人(現存者) ①/9
アサヒビール㈱ 竹縄亨 名誉顧問(元副社長) 99歳
アサヒビールの業績低迷時に旧住友銀行出身の樋口廣太郎 社長と共にプロパー社員のトップ「副社長」を務められました。
タスクフォースを組成して「スーパードライ」を開発、起死回生の大ヒットとなった逸話など興味深く貴重なお話をして頂いています。
宮津出身の著名人(現存者) ②/9
気象学者 増田善信さん 99歳
広島の原爆投下後に降った「黒い雨」の範囲を分析。
出身は京丹後市弥栄町で、旧制宮津中学時代に竹縄さんと同級生、宮津測候所に勤務。
宮津出身の著名人(現存者) ③/9
JR九州の初代社長 石井幸孝(いしいよしたか)さん 90歳
デザイン列車や不動産と店舗の強化で前年度もJR九州のみ黒字。
現在も新幹線物流、インドへの新幹線輸出・JR北海道の立て直しなどで活動中。
宮津出身の著名人(現存者) ④/9
㈱フジ・メディア・ホールディングス 尾上規喜 常勤監査役(元副社長) 88歳
フジテレビの曙町からお台場への本社移転、敵対買収への対応などに尽力。
1960年の安保闘争でデモ隊が国会議事堂に突入した折、東京大学の学生・樺美智子さんが亡くなった騒動を国会の門柱に登って撮影した武勇伝もあり。東京丹後人会の会長。
宮津出身の著名人(現存者) ⑤/9
ルパン三世やムーミンなどのアニメ監督 大隅正秋さん 88歳
昨年6月に「戦後の宮津劇場集団M.E.S.から始まる日本アニメの歴史!」と題して宮津で講演頂きました。
慶應義塾大学の留学生向け講義「静止画表現のアニメ史的な役割」は、今年で15年目を迎えました。
宮津出身の著名人(現存者) ⑥/9
公益財団法人さわやか福祉財団 堀田力(ほったつとむ)会長 89歳
元東京地検特捜部検事(ロッキード事件担当)で、田中角栄元総理に論告求刑した元辣腕検事。
宮津市の社会福祉協議会が赤字体質であることをお伝えしたら20百万円寄付頂きました。
ひけらかすことなく「日本にも欧米並みの寄付文化を根付かせたい」と仰られた堀田さんの度量の広さに感服します。
宮津出身の著名人(現存者) ⑦/9
関西大学法学部の名誉教授で租税法の権威 村井正さん 88歳
立命館大学法学部卒、京都大学の大学院に在籍中、ドイツのハイデルベルク大学に留学。
宮津出身の著名人(現存者) ⑧/9
宮津市立図書館100周年記念講演を頂いたミステリー作家 山崎洋子さん
1986年に「花園の迷宮」で第32回江戸川乱歩賞を受賞され、「ヨコハマ幽霊ホテル」「ホテルウーマン」「熱月(テルミドール)」など数々の名作を著わされています。
山崎さんの作品は多数の映画やドラマになり、以前はテレビ朝日の「スーパーモーニング」のコメンテーターとしてレギュラー出演され、現在、横浜市の行政や市民活動、講演などでもご活躍中です。
宮津出身の著名人(現存者) ⑨/9
東京海上ビジネスサポート㈱ 小室知彦 社長(東京海上日動火災保険㈱元常務)
由良出身で小学生時代から習った剣道は6段の腕前、母校の信州大学で経済学の講義もされます。
宮津出身の著名人(物故者) ①/7
幕末の蘭方医で財政家の新宮凉庭さん
京都南禅寺の湯豆腐店「順正」の書院は、新宮凉庭が作ったサロンで、越前藩主の松平春獄や坂本龍馬の推薦で明治維新後に政府の御用金穀取扱方(現代の財務大臣)を務め、由利公正と改名した三岡八郎や勤王の獅子たちも集まったと伝わります。
現在は国の指定文化財になっています。
宮津出身の著名人(物故者) ②/7
台湾鉄道の創始者 澤井市造さん
明後日、帰省される上述のJR九州初代社長の石井幸孝さんから伺いましたが、台北市にある澤井市造の墓の隣は第7代台湾総督の明石元二郎だそうです。
明石は日露戦争前にロシア帝国公使館付陸軍武官としてロシアの反政府分子の工作活動を図り、旅順要塞の図面を取り付けた山川の教科書にも出てくる人です。
宮津出身の著名人(物故者) ③/7
NTTの第2代社長 山口開生(はるお)さん
旧制宮津中学、東京大学第二工学部を卒業後、旧逓信省に入省、電気通信省を経て、日本電信電話公社となり、建設局長、施設局長、技師長等を歴任。
戦災によって壊滅状態にあった電話網の普及や、電話の即時化等に貢献した。
日米貿易摩擦の問題が浮彫りになった1980年代には、独自の資材調達方法を確立し問題解消した。
市役所前にある料亭ふみやはご親戚で、NTTの社長時代の日経新聞担当者は宮津出身。
宮津出身の著名人(物故者) ④/7
灘高校の国語教師 橋本武さん
「銀の匙」(ぎんのさじ)を3年間かけて徹底的に読み解く授業がテレビや本で話題です。
宮津出身の著名人(物故者) ⑤/7
阪急ブレーブス最後の球団社長 岡田栄さん
京丹後市丹後町出身で、旧制宮津中学卒。
海軍兵学校74期生で、私がいた会社の米倉国輔社長と同期。
矢野元市長の妹さんが妻で、宮津市民球場の球場開きの折はプロ野球ウエスタンリーグ6球団を連れてきてくれた経緯など貴重なお話を伺いました。
また、丹後海陸交通㈱の社長や阪急電鉄の監査役も務められました。
宮津出身の著名人(物故者) ⑥/7
㈱島津製作所 藤原菊男 元社長
京丹後市丹後町で、旧制宮津中学卒。
宮津高校(現宮津天橋高校)の創立100周年の記念講演をされました。
宮津出身の著名人(物故者) ⑦/7
川崎重工業㈱の元社長 砂野仁(いさのまさし)さん
与謝野町加悦出身で、旧制宮津中学卒。
宮津天橋高校(旧宮津高校)の体育館にあるグランドピアノは砂野さんの寄付です。