宮津市には地域における課題の解決や地域の元気づくり活動を推進する「地域会議」が14地区あり、今日は城南部地域会議の催しで掲題の通り、標高165mの八幡山(はちまんさん)を登りました。
八幡山城は中世に築城され、442年前の天正8年8月2日(グレゴリオ歴1580年9月20日)に織田信長の命を受けた細川藤孝(後の幽斎)が入城し、嫡男 忠興とその妻 たま子(明智光秀の三女、後のガラシャ)も新婚時代を過ごしたと伝わります。
その後、室町時代に幕府の要職「四職」を務めた地元の一色氏を攻略し、海縁に宮津城を築城します。
河森さんの説明によると…
山城は通常2~3の曲輪(くるわ・城の内外を土塁・石垣・堀などで区画した区域)ですが、八幡山城は尾根づたいに幾重もの曲輪を南北720m・東西400m展開し、丹後地域では最大の山城だったそうです。
そして、本丸には野面積み(のづらづみ)の石垣が残り、後に海縁に建てられた「宮津城」も当時の最新技術が使用されたそうです。
7万石の城下町でありながら、明治維新後の廃城令で、「宮津城」はほとんど原形を留めていません。
中世から近世へ丹後の歴史が変わる「八幡山城址」は天橋立と宮津市街が一望でき、眠れる観光資源の一つだと改めて実感しました。
八幡山の入口
八幡神社までの参道
八幡神社の本殿
狛犬は出雲の国(現在の島根県)で作られたそうです。
狛犬は出雲の国(現在の島根県)で作られたそうです。
壁が高い曲輪