狛犬(こまいぬ)の勉強会 ~由良の歴史をさぐる会~

宮津出身のミステリー作家 山崎洋子さんのお声がけで、10月末に1,400人を超えるFacebookのフォロワーを有する「狛犬さがし隊」の皆さんが丹後へお越しになられます。
当日対応される由良の歴史をさぐる会の加藤会長が10月1日(土)に各会員へ神社の歴史を含めた貴重なお話をレクチャーされました。
江戸時代の北前船航路の寄港地として繁栄したことはもちろん、「安寿と厨子王」「山椒大夫」の平安時代から、由良が日本海航路と京の都へ物資を運ぶ由良川の玄関口として重要な役割を果たしてきたことを垣間見ることができました。
ただ残念なことに、私は月末に「市民と議会の懇談会」と演劇「天の波濤」が重なり、狛犬の皆さんにほとんど同行できません。
朝9時にもみじ公園に集合し、最初に訪れたのは上石浦の庚申塔です。
目を凝らすと電柱の左手中央に庚申塔が見えます。
上石浦の庚申塔
1887(明治20)年と記してあります。
庚申塔から旧道を歩きました。
上石浦の由良古道を歩ていると…
1m以上の青大将に遭遇!
下方の葉がシカに喰われたみかんの木
有害鳥獣被害が毎年深刻になっています。
近々、対策を打ち合わせます。
上石浦から由良鉄橋を望む
中路(なかじ)神社と上石浦公民館
中路(なかじ)神社の石段は側面にノミの削り跡があります。
中路(なかじ)神社の庚申塔
幕末の1863(文久3)年と記してあります。
中路(なかじ)神社の本殿
元々海を祀る日吉神社だったそうです。
中路(なかじ)神社の狛犬
中路(なかじ)神社の龍の彫り物
中井某の作だそうです。
中路(なかじ)神社から由良古道を歩いていると大量のシカの糞を見つけました。
上石浦から由良鉄橋と中島を望む
平安時代から中島が中心港だったそうです。
下石浦の住吉神社
下石浦の住吉神社にある正面金剛像
横から見ると膨らみが分かります。
下石浦 住吉神社の長屋門
下石浦 住吉神社の長屋門は、真ん中の通路に木の廊下を敷き、全体が舞台になるそうです。
下石浦 住吉神社の本殿
下石浦 住吉神社の狛犬
下石浦 住吉神社の龍の彫り物
湊の照国稲荷(てるくにいなり)
北前船の絵馬で有名です。
湊の照国稲荷(てるくにいなり)から由良鉄橋(左)と若狭湾(右上)を望む
幕末の1858(安政5)年と記してあります。
蜂子皇子が出羽(山形県)へ船出をしたと伝える石碑
崇峻天皇5年(西暦592年)11月3日に、蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、馬子から逃れるべく蜂子皇子は聖徳太子によって匿われ宮中を脱出して丹後国由良から海を船で北へと向ったと伝わります。
照国稲荷にある孤独の不動明王像
流れ着いたと伝わりますが、明治の神仏習合で神社と横向けに安置されているのではないか?との由。
照国稲荷の段は緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)でできているそうです。
本殿の後ろには玉垣(寄進者の名前と寄進額を刻んだ柵代わりの石の柱)の跡がありました。
湊にある北野御膳宮(きたのごぜんのみや)
ハクレイ酒造の駐車場の北側にあります。
北野御膳宮(きたのごぜんのみや)
「安寿と厨子王」の伝説の中で、山椒太夫から逃げる途中で亡くなった安寿姫を祀った社と伝わります。
北野御膳宮(きたのごぜんのみや)の説明版
日差しがきつい日でしたが、由良の歴史に益々興味がわく一日になりました。