昭和の宮津の文化力

5月14日に開催した「宮津を元気にする会 講演会Vol.9 戦後の宮津劇場集団M.E.S.から始まる日本アニメの歴史!~宮津で育ったルパン三世の監督 おおすみ正秋さん~」を機に市民の皆さんから様々な昭和の資料や写真・手紙などを頂きます。
おおすみ正秋さんが講演で語られましたが…
戦後の混乱期は食料の調達でさえままならなくても、「自由」を手にした宮津市民の文化に対する熱意は著しく、今の宮津に足りないものは「物事に対するHUNGRYさ」だと私も思います。
市民の皆さんから頂いた「昭和の宮津の文化力」をこれから掲載していきます。
単なる過去への哀愁ではなく、「温故知新」という諺の通りこれからの宮津を元気にする糧にしたいと思います。
その第1回目は…
宮津文化協会が昭和48(1973)年6月1日に発行した「みやづ第105号」です。
宮津出身の前尾繁三郎 衆議院議長が「桜山天満宮の神牛を寄付する思い」を語る記事がトップに記載されています。
「桜山天満宮例祭並びに座牛等寄進祭」の案内
桜山天満宮の神牛の由来
菅公一千年祭の明治38年に寄進された銅製の神牛は、太平洋戦争の兵器製造用徴収の対象となり、1943(昭和18)年に撤去されました。
1973(昭和48)年、前尾繁三郎 衆議院議員は、神牛がない天満宮を嘆き、寄付を約束した1ヶ月後の5月に衆議院議長に就任しました。
奇しくも神牛の再建は、議長就任記念となりました。
故 前尾繁三郎さんは、少年時代から菅原道真を崇拝され、学問と書道に通じ、立法府の長たる衆議院議長に就かれ、平安時代の政治家と学者であった菅原道真と一脈通じるところがあります。