戦後の宮津劇場集団M.E.S.から始まる日本アニメの歴史! ~宮津で育ったルパン三世の監督 おおすみ正秋さん~

【宮津を元気にする会 講演会Vol.9】
〇日時:2022(令和4)年5月14日(土)18:30~20:00 (開場18:00)
〇場所:みやづ歴史の館2階 文化ホール
     (京都府宮津市鶴賀2164・TEL0772-20-3390)
〇会費:¥1,000.(18歳未満は無料)
〇主催:宮津を元気にする会(宮津市松原546・TEL0772-22-2620)
〇協賛:東京から宮津を元気にする会、小林美工社、市民ボランティアの皆さん
【おおすみ正秋さんの生い立ち】
1934(昭和9)年  兵庫県芦屋市で生まれ、現在87歳。
1944(昭和19)年 太平洋戦争の戦況が悪化し、京都府竹野郡網野町(現京丹後市)の親戚に疎開。
1945(昭和20)年 芦屋市の実家が空襲で全焼したため、宮津町(現宮津市鶴賀)に家を購入し、一家で移住。(宮津小学校5年生)
1947(昭和22)年 定期公演を続ける劇団「宮津劇場集団M.E.S.」が誕生。
1952(昭和27)年 宮津高校建築科(現天橋宮津高校)を卒業、宮津を離れる。
【おおすみ正秋さんの主な活動…】
1969(昭和44)年の「ムーミン」、1971(昭和46)年の「ルパン三世」や1975(昭和50)年の「ラ・セーヌの星」、1984(昭和59)年の「小鹿物語」などの監督を務められ、草創期から現在に至る
日本アニメ界を引っ張ってこられました。
また、1990(平成2)年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」などイベントの演出や1996(平成8)年に登場した世界初のバーチャル・アイドル「伊達杏子」の企画立案と開発アドバイザーなど様々な分野で演出・監督を務めていらっしゃいます。
2008(平成20)年からは慶應義塾大学の特別講師として海外留学生に「ルパン三世」などTV
アニメ史を講義、コロナ禍の現在はオンライン授業で教鞭をとられています。
【おおすみ正秋さんが宮津で過ごした7年間を振り返ると…】
私は絵が得意で、宮津中学校2年生の頃から宮津劇場の舞台背景を手伝いました。
宮津では毎年「花柳流の温習会」が催されるなど宮津劇場の閉館後に明け方まで藤木食堂の夜食を頼りに徹夜を繰り返し、東京から宮津劇場へ公演に来る劇団には裏方の一員として接し、多くを学び、将来の生きる方向を決定づける充実した時間を過ごしたと思います。
宮津高校建築科に進学した動機は絵画や造型を習得するためで、卒業制作は「伊根の舟屋のモダン化住宅」でした。
演劇は宮津演劇集団の演出研究生として学び、映画を宮津劇場の洋画を繰り返し見て映画文法を学び、マリオネット人形を個人製作し、人形劇の上演を目指すなど充実した高校時代でした。
【おおすみ正秋さんが参加された主な作品】
〇テレビアニメ
•ビッグX(1965年) – 演出(第59話)
•オバケのQ太郎(1967年 – 1968年)- 演出
•パーマン(1967年 – 1968年)- 演出
•怪物くん(1968年 – 1969年)- 演出・脚本
•ルパン三世 パイロットフィルム(1969年)- 演出(監督)
•ムーミン(1969年)- 演出(監督)(第1話 – 第26話)
•ルパン三世 (TV第1シリーズ)(1971年) – 演出(監督)(第1話 – 第12話)
•アニメドキュメント ミュンヘンへの道(1972年) – 監督
•ラ・セーヌの星(1975年) – チーフディレクター(第1話 – 第26話)、総監督(第27話 – 第39話)
•ろぼっ子ビートン(1976年 – 1977年) – 原作・監督・作詞
•子鹿物語(1983年) – 監督
•ルパン三世 ルパン暗殺指令(1993年) – 監督
〇劇場アニメ
•アタックNo.1 涙の世界選手権(1970年) – 演出(監督)
•ムーミン(1971年) – 演出(監督)
•海だ!船出だ!にこにこ、ぷん (1989年) – 脚本
•走れメロス (1992年) – 監督・脚本
•ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記(1997年) – CGスーパーバイザー
〇OVA(Original Video Animation・アニメのオリジナルビデオ)
•ヤング・シェヘラザード (2004年) – 監督
〇テレビドラマ
•ケーキ屋ケンちゃん(1972年)
•おもちゃ屋ケンちゃん(1973年)