丹後郷土資料館の森島康雄 資料課長の送別会

京都府知事選のお手伝い後、夜8時を越えましたが…
定年を迎えられた丹後郷土資料館の森島康雄 資料課長の送別会に何とか間に合いました。
森島先生は、元々「聚楽第」や「伏見城」研究のAuthoritieで、度々テレビにも出演されます。
また、戦国時代に細川藤孝・忠興父子が築いた「宮津城草創期の古図」を金沢で発見されたり、細川ガラシャが幽閉された「味土野が実は京丹後市弥栄町ではなく、京丹波町水戸周辺」だった説※①を検証されるなど実に興味深い歴史話を7年間に亘り発信されました。
そして、今夜も宮津藩を幕末まで約100年間治めた「本庄家(松平家)の末裔の女性が渡米し、日本軍の真珠湾攻撃の暗号を解読」していたお話※②など分かりやすくご説明頂きました。
まだまだお話を聞いていたい!
私だけではなく会場の所々から声があがりました。
※②
2015年5月23日、丹後郷土資料館の講演「丹後の地宝」で、講師を務められる森島康雄 課長の「大風呂南1号墓」銅鎖に関する説明。
2019年5月23日、NPO法人 北近畿みらいの会員交流会が宮津で開催され、講演される京都府立丹後郷土資料館 森島康雄 資料課長の「光秀と三女 玉(後のガラシャ)と細川藤孝・忠興」
2019年11月2日、丹後郷土資料館 主催の町歩き「宮津城跡」
森島康雄 課長から懇切丁寧なご説明を頂きました。
宮津市漁師町に本籍のあるJR九州初代社長 石井幸孝さんが帰省され、一緒に参加しました。
殊に思い出深いのは…
宮津小学校と幼稚園の間の道路は宮津城の外堀跡で、「外堀通りと名付けられては?」と、ご提案頂きました。
城跡は殆どありませんが、地名で城下町を知らしめたり、QRコードを利用した昔の再現画像など夢が膨らみます。
2020年11月23日、京都国立博物館から里帰りした国宝「天橋立図」を前に
宮津市漁師町に本籍のあるJR九州初代社長 石井幸孝さんが帰省され、森島康雄 課長から懇切丁寧なご説明を頂きました。
この後、私が新型コロナに感染し、お二人が濃厚接触者となり、ご迷惑をお掛けしました。
不幸中の幸いは感染していなかったことです。
京都府立丹後郷土資料館 (kyoto-be.ne.jp)