阪神淡路大震災から26年…

「災害は忘れたころにやって来る」と、戦前の物理学者で随筆家 兼 俳人の寺田寅彦が言ったと伝わります。
「備えあれば患いなし」と、古代中国・殷の宰相・傳説(ふえつ)の言葉があります。
都市直下型地震の惨事を忘れず、近々発生が予想される南海トラフ巨大地震に備えることを期して、当時の写真を掲載します。
1995年1月17日5時46分の阪神淡路大震災から26年経ちました。
当時、私は三井リース事業株式会社の大阪支店に勤務し、寝屋川市の萱島に住んでいました。
当日の朝は、京阪電鉄だけが全鉄道の中で難を逃れて運行し、沿線に住んでいた辻井副支店長、同期の鈴木くんと私の3人で社員の安否確認など初日のあらゆる初期動作に対応しました。
中之島にあったオフィスの窓は、ほぼ全壊して隙間風をガムテープで防ぎました。
周辺の朝日新聞や関西電力本社などのビルも余震の度に建物の軋みとガラスが降ってくる独特な音を今でもはっきり覚えています。
三宮駅前の三井信託銀行ビルに入居していた神戸支店が全壊して、大阪支店から取引先へ救援物資を運び、被害状況や経営状態などを確認ました。
大阪の南港から神戸のハーバーランドへの臨時船や一部運転を再開したJR芦屋駅に設置した原付スクーターで寒空を疾走したことがつい昨日のことのようです。
殊に大火災に見舞われた長田地区の惨状が著しく、焼け野原を目前にした時、思わず「空襲の後か?」と呟いたのを覚えています。
震災後1ヵ月ほど洩れ続ける水道管と焦げ臭さも…
自宅が全壊して、冷蔵庫の下敷きになって亡くなったお母さんの遺骨を会社に保管していた上司etc.
実際に見て感じたことをしっかり次世代に伝えたいと思います。
【阪神淡路大震災のWikipedia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD