宮津と縁の深い「山田記念病院」が新型コロナウイルスのクラスター(集団感染)に!

5月1日の新聞やテレビで東京都墨田区の「山田記念病院」が新型コロナウイルスに43人感染、患者2人死亡を出したと報道されました。
【2020年5月1日の朝日新聞ニュース】
https://www.asahi.com/articles/ASN516SJZN51UTIL04L.html
【日本テレビの動画】
https://www.news24.jp/articles/2020/05/01/07635567.html
「山田記念病院」は…
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年7月30日の宮津空襲で撃沈された駆逐艦「初霜」の錨が展示されています。
軍医として「初霜」に乗艦されていた初代院長の故 山田正明氏は、戦後に解撤された船体の中で「錨」が偶然にも横浜の古道具屋にあることを知り、購入して病院前に据えられました。
今も戦争の記憶を伝えると共に、「患者に錨を下して暫しの休息を」との願いを込めて、「山田記念病院」のシンボルとして「錨」が展示されています。
【山田記念病院のHP】
http://www.yamada-kinenhp.jp/
駆逐艦「初霜」は…
開戦時より多くの戦闘に参加し、1945(昭和20)年4月7日の天一号作戦(菊水作戦)で戦艦大和以下全10隻による沖縄特攻から駆逐艦「雪風」・冬月・涼月とともに生還。
その後、5月15日に雪風と佐世保港から舞鶴港へ移動、6月に宮津湾で砲術学校練習艦となり、7月30日に早朝から夕方まで続いた米軍艦載機の編隊約20機毎の波状攻撃に対し雪風と共に交戦の末、前夜に米軍がパラシュートで敷設した機雷に接触、沈没しました。
【駆逐艦 初霜のWikipedia】
https://ja.wikipedia.org/wiki/初霜_(初春型駆逐艦)