由良の歴史をさぐる会が山陰道鎮撫使の宿泊木札を発見 ~明治維新後150年~

今年は明治維新後150年になります。
慶応4年1月3日(1868年1月27日)に鳥羽伏見の戦いが始まった2日後、新政府は18歳の西園寺公望※を総督として山陰地方の平定にあたる「山陰道鎮撫使」を派遣しました。
「由良の歴史をさぐる会」は、山陰道鎮撫使が宿泊した民家に掲げられた木札を発見し、2月9日の京都新聞に掲載されました。

当時、田辺藩(舞鶴市)の領地である由良地区に宿泊した山陰道鎮撫使は、翌日に鳥羽伏見の戦いで幕府方として戦った宮津藩に入り、藩主の本荘(松平)宗武を同年1月23日(1968年2月16日)に恭順させました。
山陰道鎮撫使の標的は、大老 井伊直弼の安政の大獄で寺社奉行として勤王の志士を処罰し、その後も大坂城代、第2次長州征伐の副総督や老中などの幕府要職を務めた先代藩主の本荘(松平)宗秀がいる宮津藩だと伝わります。
宮津が戦場にならなくて良かったと改めて実感します。
因みに、態度を曖昧にしていた松平定安が藩主を務める松江藩は、山陰道鎮撫使から最後通牒を突き付けられ、池田慶徳の鳥取藩が仲介して「誓紙」を提出した上で降伏しました。

木札を眺めると150年前の緊迫感に思いが馳せます。

※第12・14代内閣総理大臣、立命館大学の学祖。

【京都新聞 地域ニュース】
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20180209000025

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA